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丸ノ内線車両のカラーリングの逸話

車両
営団300形
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日本に鉄道が誕生してから、日本の鉄道車両技術は海外に学ぶことで発展を遂げてきましたが、その発展は、社会情勢により、足止めにされていた時期があります。1946年に、鉄道官僚であった鈴木清秀は、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)の三代目総裁に就任し、営団の未来のために、日本で最も優れた運転屋と言われた東義胤を理事として招き入れ、日本の鉄道技術をリードすべく準備が整えられていました。当時、営団は丸ノ内線を今後の地下鉄のモデルと考え、車両についても「その性能は欧米諸国の地下鉄道車両にも劣らない優秀なものとすること、その仕様は鉄道の近代化に応じた斬新な構想を取り入れること、経年後も見劣りのしないだけの性能と感覚をもたせること」を基本命題に裾えつけ、営団はアメリカのウェスチングハウス社が製造した駆動方式であるカルダン方式を始めとする数々の欧米の最新技術を用いた画期的な新形高性能電車の導入を決断しました。海外視察に出た鈴木総裁からあまりに斬新なカラーとデザインが提案され、塗装については、鈴木総裁と東理事が丸ノ内線の建設にあたって、海外を視察した際に英国欧州航空の機内で購入したベンソン・アンド・ヘジェス社製のたばこの缶の色を基に、東京芸術大学にデザインを依頼して、塗装はスカーレット・メジアム(ミーディアム)の赤に決まりました。海外の事例を調査した結果、ニューヨークの地下鉄の車両に着目し、その車両に搭載されている機器と同様のものを搭載することにして、海外から電装品のサンプルを取り寄せようとしても、当時は、外貨不足により簡単に輸入することが難しく、関係省庁の協力により輸入することが出来ても、開発では長年の遅れから、梱包を解くとその構造すらまったく分からず、大きな衝撃を受ける中、手探りで営団が初めて開発した車両である300形の開発が進められました。この時、輸入された技術は高性能電車の根幹であり、300形の開発によって消化吸収が図られたことから、300形は電車発達史の一大画期として評価されており、戦後の混乱と資金不足の中、1954年1月20日に丸ノ内線は池袋ー御茶ノ水間が開通します。駆動装置にWN駆動、制動方式にセルフラップ(自動空気ブレーキ)付きの電磁直通ブレーキを日本の鉄道車両では初めて搭載し、02系への置き換えにより、1996年に営業運転を終了しましたが、2014年1月25日に鉄道友の会のプレ・ブルーリボン賞を受賞しました。

東西線の車両

その後、東西線が開通しますが、東西線の車両のカラーリングである車体帯のブルーについても東理事の指示により、たばこのハイライトの色となりました。

3OO形で採用されたラインカラーは、2019年に営業運転を開始した新型車両2000系にも受け継がれており、現在、300形は地下鉄博物館に保存されていますが、初めて実用水準に達した高性能電車であり、新幹線に繋がる技術的基盤を確立しました。

参考文献

「技術の源流探訪 戦後の終わりを告げた高性能電車 営団丸ノ内線300型誕生の頃ー望月 弘(帝都高速度交通営団OB)に聞くー」電車発達史研究家福原俊一 R&M2007第4号(社)日本鉄道車両機械技術協会平成19年4月1日発行

「営団地下鉄300形開発史」澤内一晃 鉄道ピクトリアル2016年12月号臨時増刊号 株式会社電気車研究会 鉄道図書刊行会平成28年12月10日発行

交通新聞社066車両を造るという仕事 元営団車両部長が語る地下鉄発達史 里田啓2014年4月15日株式会社交通新聞社発行

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