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今から60年以上前に東武鉄道と小田急電鉄が相互直通運転を行う計画がありました。
東武鉄道は都心へ乗り入れるために、1955年12月24日に新線計画(地方鉄道延長線敷設免許申請)を運輸省(現在の国土交通省)に出願し、北千住ー新橋間10.9Kmに地下鉄路線を建設することを計画していました。この路線は、北千住から南千住、三ノ輪、浅草橋、人形町、茅場町、西八丁堀、銀座四丁目などを経由し新橋に至るルートで、全線複線で軌間1067mm、電圧は1500Vで計画されていましたが、当時私鉄が地下鉄建設を行うことに関して規制が行われており、東京における地下鉄建設は帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)に一本化することになっていたため、私鉄が地下鉄建設を行うことが難しい状況になっていました。
そんな中、小田急電鉄も参宮橋ー東京駅八重洲口間に地下鉄路線を建設することを計画しており、小田急電鉄は東武鉄道に対して東武鉄道と共同で都心乗り入れを打診し、箱根湯本ー東武日光間に直通列車を運転することが出来るのも魅力でもありました。
これに合わせて1956年4月1日に区間が北千住ー東京駅八重洲口間に変更されましたが、1957年に運輸省(現在の国土交通省)が鉄道監督局長通達を発し「地下鉄と郊外鉄道との相互乗入れ体制の確立と,戦後出された各私鉄の都心乗入れ申請を取り下げる」よう行政指導が行われたため、この計画が実現することはありませんでした。
この新線計画は二転三転したものの、一部のルートが東京メトロ日比谷線と重複していますが、本当に実現していたら箱根と日光を結ぶ特急列車が運転されていたかもしれませんね。
参考文献
東武鉄道百年史 東武鉄道社史編纂室1998年9月発行