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幻に終わった青森鉄道管理局の設置

経営
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鉄道管理局とは、国鉄時代に国鉄の路線を地域ブロックに分けて管理するために設置されていた国鉄の出先機関のことで、終戦後の混乱が収まっていない1949年に、東北では青森鉄道管理局の設置が期待されていました。

1949年6月に、それまで国営事業だった鉄道事業は日本の占領政策を担っていたGHQの意向によって公共企業体の日本国有鉄道の運営とされ、これに合わせて国鉄は出先機関の管理組織を簡素化し、全国に49箇所あった管理部と9箇所の鉄道局を27の鉄道管理局に再編しました。これは日本に鉄道が誕生して以来の大規模な機構改革とも言えるもので、東北本線と奥羽本線、青函連絡船という国鉄の大動脈と青森操車場が擁する本州最北端の鉄道の要衛であった青森はそうした地理的な条件から有利とされ、誰もが青森鉄道管理局が設置されることを疑っていなかったそうです。しかし、同年の6月14日に発表された国鉄の組織再編の内容には青森鉄道管理局の設置が含まれておらず、「青森鉄道管理局」の看板を用意してその発表を待っていた青森にとって予想だにしない内容であり、国鉄職員をはじめ青森県民も「ただ呆然 自失」といった状況であったといいます。

その後、青森県内の国鉄の路線は秋田鉄道管理局(現在のJR東日本秋田支社)と盛岡鉄道管理局(現在のJR東日本盛岡支社)の所管となり、青森鉄道管理局が設置されなかったことによって貨車が不足し、貨物輸送が滞ってしまうデメリットもあったそうです。

翌年の1950年に仙台鉄道局青森管理部が設置され、青森県内の国鉄の路線を一元的に管理することとなり、青森鉄道管理局は設置されなかったものの国鉄分割民営化によりJRとなった今、青森にはJR東日本盛岡支社青森支店が設置されており、青森鉄道管理局の設置が実現していたら今のJR東日本の営業形態は少し違う形になっていたかもしれませんね。

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